原鉄道模型博物館とはABOUT THE HARA MODEL RAILWAY MUSEUM

原信太郎が残した功績や製作・所蔵した鉄道模型や鉄道関係コレクションに関わる資料をご紹介します。

鉄道模型のこだわり

本物の鉄道と同じように模型を走らせるために、原模型は実際の鉄道で使われている素材や技術を用いるなど細部まで様々なこだわりが行き届いています。

鉄道模型のこだわり鉄道模型のこだわり

鉄のレール・鉄の車輪

鉄のレール・鉄の車輪 鉄レール上のUNION PACIFIC 4000形(ビックボーイ)1番ゲージの鉄の車輪

模型では一般的に、レールや車輪には加工のしやすい真鍮などの素材が用いられます。しかし、本物の鉄道が鉄のレールと車輪なら、模型も本物通りにつくるのが原模型のこだわりです。購入した模型の車輪も鉄製に交換します。実際、鉄製にしたことで、他の素材に替えられない素晴らしい効果がありました。

架線集電

架線集電

原模型は、実際に架線に電気を流せるように、またパンタグラフも機能するように作っています。架線集電のための材料は日本では手に入りにくいため、自作するしかありません。製作には高度な知識と技術がもとめられ、またレールや架線のメンテナンスも欠かせません。調子よく走らせることができれば、パンタグラフが架線の高さに応じて伸縮したり、時々スパークが発生するなど、リアルな鉄道の姿を楽しむことができるのです。

原模型の架線集電のしくみ電源から架線に供給された電気が、架線→パンタグラフ→モーター→車輪→レールに流れることで車輌が動きます。

惰力走行

惰力走行

一度加速してから電気を切り、惰力で走る。この「惰力走行」という走りの姿こそ、原鉄道模型(原模型)が追求してきたテーマです。長年かけて完成させた原模型の惰力走行は、ギア、電気回路、モーター、ボール、ベアリングなど、いくつかの条件によって実現しています。

スパーギア(平歯車)の採用最もシンプルなギアで、惰力走行が可能です。信太郎が中学・高校の頃、スパーギアで伝動する「軌道モーター」という製品があり、このギア比を改造することで、やっと満足する結果が得られて以来、原模型ではスパーギアが基本になりました。

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台車構造

台車構造

鉄道模型は、現実の鉄道にはありえない急なカーブを走らせます。また原模型のように大型の模型は特に、カーブで車体が振られることにより、脱線のリスクも高まります。このため、カーブの衝撃を緩和する「揺れ枕」を台車に組み込み、カーブ走行時に車体が傾くように、軸箱も可動するように設計しています。原模型の豪快な走りは、台車に採用しているこうした機構に支えられています。

原模型の台車台車の中央に組み込まれたのが「揺れ枕」軸箱は上下に動く

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原信太郎と旅

信太郎は、少年時代から国内の各地にでかけ、30代の後半からはほぼ毎年、海外を旅してきました。世界各地の鉄道にふれ、世界をつなぐ鉄道、世界を一つにする技術をその目で見てきたのです。

原信太郎と旅原信太郎と旅

世界旅行のはじまり

世界旅行のはじまり

株式会社コクヨの仕事で海外の技術導入を任された信太郎は、1956年から60年代初めにかけ副社長とともに数回の欧州出張に出かけました。海外旅行が夢の時代、航空機は小さく、56年当時は、アジアや中東などの各地を経由する「南回り欧州線」しかなく、汽車も含めてドイツのハンブルグまで55時間もかかりました。信太郎の世界旅行の始まりであり、以後、95ヵ国を飛び回りました。

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特急列車を運転

特急列車を運転

1982年6月、ドイツの会社との取り引きが縁で、ドイツ国鉄の当時最新の電気機関車103形を、特別の許可を得て運転をさせてもらいました。しかも、乗客を乗せた17輌編成の特急車両です。ハノーファーからハンブルグまでの距離およそ180km、運転時間1時間14分、最高時速200km。緊張の連続でしたが、素晴らしい思い出です。

世界の模型店めぐり

世界の模型店めぐり

海外旅行のお目当ての一つは、模型店めぐりです。店にひとたび入れば、会社の上司を外でまたせても、夫人をほったらかしにして後で怒られても、夢中になって鉄道模型をみてしまいます。そして、まるで引越しのような大きな木箱をいくつも持ち帰りました。海外では、鉄道模型は大人の趣味の一つでもあります。店員との交流も楽しいひと時でした。

最後のオリエント急行

最後のオリエント急行

パリーイスタンブールの直通便として名をはせた「オリエント急行」は戦後の航空機利用の増加や、東欧・西欧の情勢を背景に60年代には豪華列車としての運行をやめ、1977年5月20日の便で廃止になりました。同じ5月、廃止直前のオリエント急行に、信太郎は家族5人で乗車しました。

原信太郎のコレクション

子どものころから集めたものから、海外で購入したもの、オークションで競り落としたもの。信太郎のコレクションは、そのバリエーション、希少性、歴史的価値は世界からも注目されています。

原信太郎のコレクション原信太郎のコレクション

一番切符

一番切符

一番切符とは、新しく開業した路線で売り出す切符の通し番号0001のものです。始点と終点の駅でそれぞれ入手することを目指しました。誰かのコレクションを買うのではなく、開業するその時に、自分で出かけ、自分で買って手に入れることに醍醐味があります。多くのライバルの中で一番切符を入手するため、緻密な作戦を練り、何日も前から駅で待機するなど、家族・周囲を巻き込みながら0001番に情熱を燃やし続けました。

ヴッパータール懸垂電車模型

ヴッパータール懸垂電車模型

この模型は、ドイツの鉄道模型会社の老舗メルクリン社が20世紀の初めに製造した、ドイツ、ヴッパータール市の懸垂電車です。電気で動く模型が出始めた頃のもので、配電盤には脱線した時のショートを防ぐための電球がついています。80年代、信太郎は、この模型を国際電話をかけっぱなしにして、オークションで競り落としました。これほど状態の良いものは他になく、ヴッパータール市の博物館から譲ってほしいとの申し出があったほどです。

技術者としての原信太郎

信太郎はコクヨの技術部門の責任者として様々な開発を行い、物流革命の一端を担いました。
そして鉄道に対しても常に技術者の視点で向き合ってきました。

技術者としての原信太郎技術者としての原信太郎

「ハンガリーブダペストの地下鉄」
「世界初の立体自動倉庫」

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●映像出典
「シャングリ・ラの夢 原信太郎が描き続ける理想郷」
DVD豪華版6,600円(税込) 通常版3,300円(税込) 発売中
発売・販売元:TCエンタテインメント
(C)ウィル・ドゥ